歴史と人物 人物

内野東庵 (うちのとうあん)

内野東庵の村おこし 萱切トンネルと本庄の雪穴(本庄)

内野東庵(1841~1926) は本庄村に生まれ、医師である父、蓬山のあとを継ぐため、築上町越路の医師、三嶋雄山(1818~1884)に入門し医術を学び、のちに秋月藩の陽明学者、中島衝平(1822~1868)の下で陽明学を学びました。本庄村で開業し地域の医療に携わるかたわら、交通の難所、堂山の県道開削、萱切トンネルの開鑿、鉾立トンネルの開鑿計画立案、さらにみかんの栽培や櫨の木(蝋燭原料)の植樹、大楠の苗の移植など地域の公共事業や産業、福祉の発展に尽力しました。

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本庄の雪穴は東庵の発願で明治時代に造られた氷室で、直径 5.3m、深さ 4.6m。花崗岩の谷積で、冬季に雪を運び入れ踏み固めて、茅などで覆い、夏期まで雪氷を貯蔵し、病人の熱冷しに使用しました。

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