小野原善言 (おのはらぜんごん)
小野原善言塾跡(今津)
小野原善言は、文化7年(1810)、今津の豪農、田中善右衛門の三男に生まれ、13歳で広瀬淡窓の咸宜園(日田市)に入門しました。16歳の時に小倉篠崎藩の井上吉兵衛の養子となり、学才もあり、藩命で江戸と水戸藩で学び、帰藩して小倉篠崎藩主の侍講(教授)となりました。51歳で隠居し、地名から小野原の姓を名乗り、小野原塾を開きましたが、幕末の動乱期で浪人も集まり、藩から解散を命じられました。
小倉戦争後は郷校の必要性を説き、明治2年(1869)、藩命で越路に学校を開きます。廃校後は再び今津で子弟の教育に努め、明治6年、61歳で死去しました。