史跡散歩ガイド 船迫窯跡公園

国指定史跡 船迫窯跡公園 (ふなさこかまあとこうえん)

古代の築上町はハイテク文化

船迫窯跡は発掘調査によって6世紀後半の須恵器(硬く焼き締まった土器)を焼いた窯跡から、7世紀中頃の九州最古級の瓦を焼いた窯跡、そして奈良時代には豊前国分寺の瓦を焼いた窯跡と巨大な瓦製作工房建物跡が発見されました。
瓦を製作、乾燥する工房建物跡は30m×12mの巨大なもので2棟が発見されました。
窯跡から出土した鬼瓦は残存状態が良く、また鴟尾には朝鮮半島百済の蓮華文や唐草文が施されています。

これらの窯跡群と工房跡は平成11年、国指定史跡に指定され、船迫窯跡公園として一般公開されています。
敷地内には工房跡の大型建物が復元され、山の中には発掘された窯跡の現物が見学できます。
体験学習館では出土遺物等が展示され、また土器づくりや勾玉づくりの体験学習もできます。

画像をクリックすると拡大表示します

船迫窯跡から出土された鴟尾

画像をクリックすると拡大表示します

復原された鴟尾

鴟尾の3Dモデル

この鴟尾は福岡県築上町に所在する国指定史跡、船迫窯跡で出土したものです。 同じ窯で他に出土した単弁八葉蓮華紋軒丸瓦などと共に、南西約2.5㎞に位置する古代寺院「上坂廃寺」に供給され、寺院の金堂や講堂の上を荘厳しました。
日本の鴟尾は、ヒレ部先端が直線上に巡る「初唐様式」のものが大半を占めますが、船迫窯跡の鴟尾はのこぎり歯上に巡り、鳥の羽のように一枚一枚が分かれている「百済様式」の特徴を持っています。
こうした特徴を持つ鴟尾は、様式の名の通り隣国朝鮮半島にかつて所在していた百済や新羅等の影響を受けているとされます。また、鴟尾の縦帯に施された単弁四葉蓮華紋も、豊前国の古代寺院で必ずと言っていいほど出土する百済系の単弁八葉蓮華紋軒丸瓦と酷似しています。
豊前国は古くから朝鮮半島からの渡来系の人々が多くいた地域であり、660年の百済滅亡後に、列島に多数渡来した工人たちがこの鴟尾の制作に関与したのかもしれません。
船迫窯跡公園では鴟尾を実物サイズに復原したレプリカも展示しています。ぜひご来園ください (高さ121㎝、頭部からヒレ部までの奥行93㎝、最大幅76㎝)

画像をクリックすると拡大表示します

船迫窯跡から出土された瓦

画像をクリックすると拡大表示します

体験学習館や復元工房ではや火起こし体験や陶芸も。

画像をクリックすると拡大表示します


上へ