史跡散歩ガイド 本庄の大楠

本庄の大楠 (ほんじょうのおおくす)

大正11年に国の天然記念物に指定

大正11年に国の天然記念物に指定されました。平成13年環境省の巨樹巨木林調査によると、全国第1位は鹿児島県蒲生町「蒲生の大クス」、2位は静岡県熱海市「来の宮神社の大クス」、3位は青森県深浦町「北金ヶ沢のイチョウ」、4位が築上町「本庄のクス」と佐賀県武雄市「川古のクス」。本庄の大楠は樹高は25.8m、胸高の幹周囲が20.6m。木芯部は大きな空洞となっていて、明治34年にこの中で焚き火が引火し、大半が焼失しましたが、その後奇跡的に第一枝がよみがえり、現在の姿まで成長しました。現在5本の支柱に支えられ、支柱の食込みなど難題をかかえ、支柱の一部取り替え、土壌改良などの保護工事を現在も継続しています。5月にはアオバズクが営巣にやってきます。夏は花火大会、秋はクラシックコンサートが開かれます。大楠の葉を懐中に入れると、諸災を免れ長寿を得ると言わています。

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クスについて

クスは木に芳香があり「臭し:くすし」がクスの語源の説もあります。漢字には「楠」と「樟」があり、「楠」は中国大陸に分布するタブノキ属の樹木で、日本列島に分布するのは樟脳を取る「樟」の木ですが、日本では厳密に区別せず、「楠」の字を古くから一般的に使用する。英語ではCamphor(カンファー)、カンフル剤の語源です。

大楠と宇佐神宮と御杣始祭(みそまはじめ)

大楠神社所蔵『大楠小楠宮社記』(元禄12年:1699)によれば、景行天皇が九州平定のため京都郡御所ケ谷に仮宮を造営する際、南へ三里の地に楠を一本植えたと伝えられ、樹齢1900年と言われるが定かではありません。宇佐八幡宮は元慶4年(880)太政官符によって30年に一度 の式年遷宮(建て替え)が決まり、これにより用材を切り出す杣山が決められました。宇佐宮一之殿(八幡大神・応神天皇)が築城郡伝法寺村、二之殿(比売女大神・三女神)が上毛郡川底村(白山神社)、三之殿(神功皇后・息長帯姫命)が下毛郡臼木村(斧立八幡)から切り出され、造営の前にはこの三ヶ所で造営開始の御杣始祭が行われました。造営完了の際は天皇の勅使を迎え勅使祭が行われます。現在の国宝宇佐神宮は安政年間に建てられ、明治時代以降遷宮はなく、10年に一度修理をしています。

御杣始祭の最古の資料は『続左丞抄』保元元年(1156)の記録で「○○郡司桑田滋野河内二瀬」とあり、桑田郷(本庄の大楠周辺)で行われました。応永25年(1418)の『宇佐宮造営日記』『永弘文書』では、一之御殿の御杣始祭の場所が「築城郡伝法寺河内御堂所の楠」とあります。享保13年(1728)の詳細な記録や絵図もあります。御杣始祭は安政3年(1856)を最後に途絶えていましたが、平成7年11月に地元有志により復活されました。次回平成25年の予定です。

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御杣始絵図

御杣始絵図

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3D動画制作:大阪府立大学 中村彰宏准教授


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