歴史と人物 人物

延塚奉行 (のぶつかぶぎょう)

農村の窮乏と郡奉行 延塚卯右衛門

享保17年(1732)の虫害による飢饉(築城郡死者6025人:人口の41%)や、文政11年(1828)の大暴風雨による凶作で年貢米納入が滞り、小倉藩では生活維持と復興のため年貢猶予の勘合米を貸し付け、築城郡ではその返済をしてきました。天保7年(1836)も天候不順により麦の不作や小倉の米価高騰騒動などがあり凶作が続いたようです。この年築城郡は年貢減免を要求したが受け入れられず、筋奉行の延塚卯右衛門は困窮した農民の根付料(種籾や田植の貸付金)の返済を独断で免除し、農民を救済し、その責任を取って役宅で切腹しました。この時奉行の遺徳に感謝したものは三歳の童子にいたったといわれます。

遺徳と顕彰

故築城郡奉行延塚君
故築城郡奉行延塚君碑(小山田)

碑文
右側面の碑文(漢詩は今津の儒学者小野原善言)

小山田村庄屋の岡野房秀は延塚奉行の7回忌に自宅に追慕の碑を建立しました。その後に円通寺に移設され現在に至ります。また88年の歳月を経た大正13年には綱敷天満宮境内に築上郡西部8ヶ町村により報徳碑を建てました。延塚奉行役宅はその後も旧椎田町役場として使用され、昭和38年役場移転後も遺徳を顕彰する延塚記念館として利用され、奉行の遺言状も現在ここの歴史民俗資料館で展示保管されています。また平成20年に築上町本庄の天徳寺で位牌が発見され、おそらく7回忌供養の時の位牌が小山田の円通寺に残され、のちに本寺の天徳寺で保管されたのであろうと思われます。

延塚奉行の遺言状、旧延塚記念館など

町指定文化財『築城郡宰延塚卯右衛門天保七年十二月二日の書置』(遺言状)は、築上町歴史民俗資料館(築上町椎田1645-2 延塚記念館)に展示されています。

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